こんにちは、ペルです。
中国への辛口コメントとして日本のSNSや番組で大活躍の石平(せき へい)さん。
日本語が堪能で、しかも中国への辛口コメントを臆することなく発言するので逆に心配になりますよね。
そこで「石平(せき へい)の評判は?現在の家族や経歴・いつ帰化したのかを徹底調査!」と題して、素顔に迫りたいと思います!

貴方はどこまで石平(せき へい)さんをご存知ですか?
石平(せきへい)の評判を客観的に整理
石平氏の評価は、支持と批判の両方が存在します。
まずは、どのような場面で高く評価され、どのような理由で批判されることが多いのかを整理することで、全体像を把握しやすくなります。
それぞれの意見を順に確認していきます。
支持する意見から評価の理由
石平氏を支持する人が多い理由のひとつは、中国政治に精通している点です。
長年の研究と現地での経験をもとに語るため、情報に裏付けがあります。
発言の背景が明確なため、「説得力がある」という声がよく見られます。
また、歯切れの良い物言いも支持を集める理由です。
回りくどい表現を避け、問題点をはっきり示すため、政治に関心のある層から「分かりやすい」と評価されています。
複雑な国際情勢でも、要点をまとめて説明する姿勢が信頼につながっています。
さらに、自由や民主主義といった普遍的な価値を重視する点も、共感を得やすいポイントです。
中国体制の問題を経験したうえで語る主張には、強い実体験が含まれています。
そのため、単なる評論ではない重みを感じる人も少なくありません。
批判する意見から指摘される点を理解
批判的な意見の多くは、発言が過激に見える点に向けられています。
中国政府への厳しい言及が多く、強い表現が使われる場合もあります。
このため、一部の読者には「感情的に聞こえる」と捉えられることがあります。
また、政治的スタンスが明確なため、「意見が偏っている」という指摘もあります。
発言がストレートである分、支持者と反対派がはっきり分かれやすい傾向があります。
評論家としての役割を考えると、この点は賛否が表れやすい部分です。
さらに、SNSやテレビでの発信が多いため、短い文脈だけが切り取られて拡散されることがあります。
その結果、意図とは異なる解釈をされるケースもあります。
誤解されやすい環境にあることが、批判につながる要因の一つとなっています。
石平(せきへい)年齢・学歴・経歴・国籍を調査!

引用元:Xより
石平(せきへい)さんのプロフィールを簡単にまとめてみました。
名前:石 平(せき・ へい)(シー・ピン)
戸籍名:北埜 陽(きたの よう)
生年:1962年1月30日生まれ
年齢:63歳(2026年1月現在)
血液型:O型
趣味:写真撮影、登山、旅行、美術鑑賞
前職:作家、評論家
出身:中国四川省成都市
国籍:中国→日本
学歴:北京大学哲学部を卒業。1988年に来日。神戸大学文化学研究科博士課程終了。
所属政党:日本維新の会 参議院議員

石 平(せきへい)は通称で、戸籍名は北埜 陽(きたの よう)です。
■ 生い立ちと中国での経験

引用元:www.seki-hei.com
- 1966年 文化大革命:教師の両親が「下放」で農場へ送られる
- 父は物理教師から豚の畜産に従事
- 本人は四川農村で漢方医の祖父に育てられる
- 祖父から医者になる教養として「論語」を教わるが、11歳の時に祖父が肺がんで死去
- 中学時代、近所のゴミ拾いの老婆が「反革命分子」として逮捕され、のちに銃殺
- 老婆が処刑された理由が「毛沢東の新聞紙で大根を包んだため」と知り、強い衝撃を受ける

処刑された老婆は、いつも笑顔で「勉強頑張ってね」と声をかけてくれる人だったそうです。
■ 北京大学〜民主化運動
- 1980年9月:北京大学哲学部に入学
- 1984年7月:卒業
- 在学中(1982年頃)から毛沢東暴政の再来を防ぐ目的で民主化運動に参加

民主化運動に情熱を傾け始めたのはこの頃からなんですね
■ 日本との関わり・精神的決別

- 1988年4月:日本へ留学し、日本語学校に入学
- 文化大革命と1989年の天安門事件に対し失望を募らせ、中国との精神的決別を決意
- 日本文化に触れる中で、隋唐文化の継承や「論語」の伝統に感銘
- 自身を「愛日主義者」と自認するようになる
覚悟の瞬間
天安門事件の夜、祖国・中国との訣別です。
■ 評論家としての活動開始
- 2002年:反日感情に関する書籍を出版し論壇デビュー
- 『正論』など保守系論壇誌で、日中関係・中国問題に関する論考を執筆
執筆活動・評論家の道に進んだきっかけ
90年代末、中国で進められている異常な反日教育の馬鹿馬鹿しさに我慢できなくなり、その実態を告発する本を刊行し、論壇デビューしました。

中国人もうんざりするほどの反日教育がわかりますね!
■ 日本への帰化・本格的な活動
- 2007年11月30日:日本に帰化
- 2008年4月:拓殖大学客員教授に就任
- 帰化前の本名は「石平(せき・へい)」
- SNSでの識別目的から一時「石平太郎」を名乗る(2024年10月に再び「石平」に変更)
帰化した直後、伊勢神宮に参拝して日本人として生きていくことを決意しました。

1988年に来日して19年後の2007年に日本へ帰化することになったのですね!
■ 政治活動・参議院選挙
- 2025年2月12日:日本維新の会から参院選比例区で立候補発表
- 2025年3月2日:誹謗中傷で家族が動揺したとして、一度は出馬辞退を表明
- 2025年6月24日:家族問題が解決したとして、再び立候補を表明
- 2025年7月20日:47,939票を獲得し比例区4位で参議院議員に初当選
- 2025年7月30日:参議院議長により通称名「石平」が議員氏名として正式許可

\次のページは石平の家族写真は?につづく/


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