こんにちは、ソナです。
前回は古代ローマの英雄ユリウス・カエサルについての記事を投稿しましたが、彼には愛人がいました。
その愛人が、絶世の美女と称されるクレオパトラです。
と言う事で今回は、「クレオパトラとは?絶世の美女ではなかった?!彼女が虜にした男性たちとの生涯について」と題して、歴史上の人物クレオパトラについて紹介します!
実は、絶世の美女ではなかった!と言う説もあるクレオパトラってどんな女性だったのでしょうか?
クレオパトラとは?
私たちが知っている女王クレオパトラは、クレオパトラ7世です。
彼女は古代エジプト、プトレマイオス朝最後のファラオ(女王)です。
プトレマイオス朝とは、アレクサンダー大王の部下・プトレマイオスが、大王亡き後エジプトを拠点に建設した王朝の事です。
クレオパトラのプロフィール
- 名前:クレオパトラ7世フィロパトル
ギリシア語:Κλεοπάτρα Ζ’ Φιλοπάτωρ
ラテン語:Cleopatra VII Philopator
- 名前の意味:「クレオパトラ」の名はギリシア語で「父親の栄光」を意味します。
- 生年月:紀元前69年1月(紀元前70年12月とも言われている)
- 死没:紀元前30年8月29日(満39歳没)
- 父:プトレマイオス12世
- 母:クレオパトラ5世
- 兄弟姉妹:クレオパトラ6世(姉)、ベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世(弟)、プトレマイオス14世(弟)
プトレマイオスとクレオパトラがいっぱい!お互いなんて呼び合っていたのでしょうか?番号ですかね?!
クレオパトラ一族の骨肉の争い
クレオパトラは王家に誕生しました。
父プトレマイオス12世が王の座に就いていた王朝(プトレマイオス朝)では、権力を巡る骨肉の争いが常態化していました。
- 父と姉ベレニケ4世による王位を巡る争い(クレオパトラ14歳)
父が勝利し、ベレニケ4世を処刑
- 父プトレマイオス12世死去(クレオパトラ18歳)
クレオパトラと弟のプトレマイオス13世が兄弟婚(兄弟姉妹同士の結婚)をし、共同で王位を継承
古代エジプトでは兄弟姉妹間の結婚は珍しくなかったそうです!ファラオ(王)の長女の夫に王位継承権があった為との事です。
- クレオパトラと弟(夫)のプトレマイオス13世との間には考え方に相違がありました。
クレオパトラ:ローマとの同盟が唯一のエジプト存続の道
プトレマイオス13世:側近の言いなり
- ローマでは時の二大権力者カエサルとポンペイウスとの間で内戦が勃発。
クレオパトラはポンペイウスに兵と食糧を援助しました。
- 弟(夫)プトレマイオス13世はポンペイウスを支援したクレオパトラをローマに擦り寄っていると不信感を募らせ、クーデターを起こし、彼女を追放しました。
クレオパトラが虜にした男性たちとの生涯について
クレオパトラの政治的戦略なのか?
彼女は権力のある男性を次々と虜にしていきます。
ポンペイウスの息子(小ポンペイウス)
カエサルとポンペイウスとの間で内戦が勃発していた頃、息子の小ポンペイウスがアレクサンドリア(エジプト)に訪れクレオパトラに支援を要請しました。
クレオパトラは、この際に小ポンペイウスの愛人になったとされています。
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)
クレオパトラとプトレマイオス13世との間が内戦中だった頃(つまり姉弟(夫婦)の間で揉めていた頃)、カエサルはエジプトに貸しを作る目的で両者に和解を提案、アレクサンドリアに招集しました。
これに先に反応したのがクレオパトラでした。
クレオパトラはクーデターによりアレクサンドリアから追放された身。カエサルの居るアレクサンドリアに行く事は容易ではありませんでした。
そこで、自分を絨毯に包ませて贈り物としてカエサルの元に届けさせました。
古代エジプトでは贈り物や賄賂を絨毯に包んで渡す習慣がありました。クレオパトラは自身をカエサルに捧げるとも取れる行動に出たのです!
彼女のインパクトある登場にカエサルはたちまち魅了され、2人は愛人関係となります。
カエサルの提案でクレオパトラと弟(夫)プトレマイオス13世は一旦和解します。しかしすぐ破綻します。
カエサルがクレオパトラに肩入れしていると反感を抱いた弟(夫)プトレマイオス13世とそれに加担した妹アルシノエ4世は、カエサルに攻撃を仕掛けます。
結果はカエサル(ローマ側)の圧勝。(これがナイル川の戦いです。)
プトレマイオス13世はナイル川に身投げし、アルシノエ4世はローマの捕虜に。
残ったクレオパトラはカエサルのお陰でファラオ(女王)に返り咲きました。
彼女はもう一人の弟プトレマイオス14世と結婚、共同統治を再開しました。とは言え、クレオパトラはカエサルの愛人。つまりエジプトの実質的な支配者はカエサルと言うこになりました。
紀元前47年、クレオパトラとカエサルの間に男児カエサリオンが誕生(カエサルの子ではないと言う説もあり)。
その後、カエサルは暗殺され、クレオパトラは後ろ盾を失いました。
▼▼ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)についてはこちらをご覧下さい▼▼
『ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が7月をJulyにした?!暦の名前の由来とは?』
アントニウス
弟(夫)プトレマイオス14世が死去(クレオパトラによる毒殺説あり)。
息子カエサリオンを共同統治者に据え、クレオパトラはファラオ(女王)として君臨。
カエサルの死後、後継者のオクタヴィアヌス(アウグストゥス)やカエサルの部下アントニウスたちによってローマの政治は運営されていました。
クレオパトラはこの時、彼らに対立する勢力(カエサルを暗殺した勢力)を支援しました。
しかし、クレオパトラが支援した勢力はオクタヴィアヌスとアントニウス勢に敗北。彼女はアントニウスの元に出頭することになりました。
出頭の際、クレオパトラは美の女神アフロディーテのように着飾り、香を焚いてムードを作り、アントニウスを宴に招き、彼を魅惑しました。
クレオパトラとアントニウスは愛人関係となり、紀元前39年に双子の男女、紀元前36年には男児が誕生しました。
アントニウスには妻がいました。その妻はオクタヴィアヌスの姉です。結局離婚することになりました。
クレオパトラにのめり込んだアントニウスは、遠征の成功による凱旋式をエジプトで行うなど、ローマを疎かにした為、ローマ市民から反感を買ってしまいました。
その結果、オクタヴィアヌスがローマ市民の強い支持を得るようになり、最終的にオクタヴィアヌスがアントニウスに宣戦布告し、両勢力(ローマ対エジプトの構図)が戦う事になりました。
勝利を収めたのはオクタヴィアヌス(ローマ側)でした。
アントニウスはクレオパトラ死去の誤報により、自殺。
ローマの捕虜になったクレオパトラは、オクタヴィアヌスに屈することを拒み、毒蛇に身体(胸か腕)を噛ませ自殺しました。
クレオパトラの「アントニウスと共に葬られたい」との遺言をオクタヴィアヌスは聞き入れました。
彼女の子供たちは・・・
カエサルとの子カエサリオンは「カエサルの後継者」になる可能性があったので、殺害されました。
アントニウスとの3人の子供たちは、オクタヴィアヌスの姉でありアントニウスの前妻に預けられ養育されました。
これほどの男性たちを虜にするクレオパトラ。さぞかし魅惑的で美しかったと思われます。ですが、美女ではなかったようです?!
クレオパトラは絶世の美女ではなかった?!
クレオパトラと言えば、絶世の美女だと称されていますが、実は違うみたいです・・・
クレオパトラは複数の外国語(エジプト語、メディア(イラン)語、ゲエズ(エチオピア)語、シリア語、パルティア語、アラビア語、ヘブライ語)に通じた知的な女性だと伝えられています。
しかし、容貌については「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていた」と評されています。
つまり群を抜いた美女ではなく、ごく普通で平凡な容貌と言うことですね。
美しさは見た目ではない!
クレオパトラは魅力的な女性であったことは確かだと言えます。
彼女の美しさは容姿ではなく、雰囲気や優雅で穏やかな話し方からくるものであったと言われています。
彼女に惚れ込んだカエサルも、彼女の頭の良さと声の良さを称えていますが、容姿については特に語っていません。「まるで楽器のようだ!」と彼女の美声を絶賛しています。
絶世の美女とは見た目ではなく、内面からにじみ出る美しさと言うことですね!
クレオパトラのまとめ
「クレオパトラとは?絶世の美女ではなかった?!彼女が虜にした男性たちとの生涯について」と題して、歴史上の人物クレオパトラについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
美しさは見た目ではなく、内面からにじみ出るものと言うことがわかったと思います!
内面を磨く事に努力しよう!と心に誓うソナがお届けしました!
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