こんにちは、ソナです。
7月を英語で言うとJulyですよね。
実はJulyの由来は、古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)だって知っていましたか?
今回は歴史上の人物、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)についてと、暦の名前の由来について紹介します!
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ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)とは?
古代ローマで最大の野心家と言われ、終身独裁官(独裁者の語源)になった人物。
政治家、軍人であり、文豪家でもある。
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のプロフィール
- 名前:Gaius Iulius Caesar(ガイウス・ユリウス・カエサル)(古典ラテン語)
(英語読みのJulius Caesar(ジュリアス・シーザー)でも知られている)
- 名前の意味:ユリウス氏族に属するカエサル家のガイウスという意味。
ちなみに氏族名のユリウスとはユピテル(ジュピター)の子孫という意味。
「カエサル」の名は、ローマ皇帝が帯びる称号の一つ。
ドイツ語のKaiser(カイザー)やロシア語царь(ツァーリ)など、皇帝を表す言葉の語源でもあります。
- 生年:紀元前100年頃(紀元前102年とも言われている)
- 誕生日:7月13日(7月12日とする説もある)
- 死没:紀元前44年3月15日
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の経歴年表
年 | エピソード |
紀元前100年頃 | ローマで生まれる。 |
紀元前82年 | ルキウス・コルネリウス・スッラ(以後スッラ)がローマへ侵攻。 ユリウス・カエサル(以後カエサル)、キリキア(現在のトルコ南部地中海に面した地域)へ逃れる。 |
紀元前78年 | スッラ死去。 カエサル、ローマへ帰還。 |
紀元前69年 | クァエストル(財務官、会計検査官)に選出され、ヒスパニア(イベリア半島・現在のスペインやポルトガル)へ赴任する。 |
紀元前65年 | アエディリス(按察官、造営官)に選出。 |
紀元前63年 | 最高神祇官選挙で対立候補を破って当選。 カティリナ事件。 |
紀元前62年 | プラエトル(法務官)に選出。 |
紀元前61年 | プロプラエトル(前法務官)格でヒスパニア総督に選出。 |
紀元前59年 | コンスル(執政官、統領)に選出(同僚はマルクス・カルプルニウス・ビブルス)。 三頭政治の開始。 |
紀元前58年 | プロコンスル(前執政官)格でガリア地区の総督に選出。 ガリア戦争が勃発(紀元前51年まで)。 |
紀元前56年 | ルッカ会談。 |
紀元前53年 | マルクス・リキニウス・クラッスス戦死、三頭政治が事実上崩壊。 |
紀元前52年 | アレシアの戦い。 |
紀元前49年 | ルビコン渡河。「賽は投げられた」 ローマ内戦の開始。 |
紀元前48年 | ファルサルスの戦い。 グナエウス・ポンペイウス、エジプトで殺害。 |
紀元前47年 | ゼラの戦い。「来た、見た、勝った」 |
紀元前46年 | タプススの戦い。 初の凱旋式、10年期限のディクタトル(独裁官)に選出。 |
紀元前45年 | ムンダの戦い。 ローマ内戦が事実上終結。 終身独裁官に選出。 |
紀元前44年 | ローマ元老院議場内で暗殺。「ブルータス、お前もか」 |
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ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の代表的な名言
カエサルは数々の名言を残した事でも知られています。
中でも代表的な3つの名言を紹介します。
「賽は投げられた」(alea iacta est)
紀元前49年、カエサルは元老院派のポンペイウスに背いてルビコン川を渡り、これがきっかけでローマの内戦が始まりました。
軍隊を率いてルビコン川を渡り、属州ガリアに入ることは法により禁じられていました。
国法を破るという暴挙に出るその時、カエサルは「賽は投げられた(さいはなげられた)」と言って川を渡ったと伝えられています。
「賽は投げられた」の「賽」とはサイコロのことで、一度投げてしまったサイコロは元に戻せないことから、「最後までやるしかない」「運を天に任せる」といった意味だと言われています。
「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici)
紀元前47年、現在のトルコでの戦い(ゼラの戦い)に勝利したカエサルは、「来た、見た、勝った」と書いた手紙をローマに送り、簡潔に勝利を伝えました。
カエサルは、ラテン語散文の名手とされ、文筆家としての優れた才能も持っていたそうです。簡潔な名言もその才能を物語っています。
「ブルータス、お前もか」(et tu, Brute?)
紀元前44年、カエサルはブルータスが首謀した謀反によって暗殺されました。
プルタルコスの『英雄伝』によると、死を察したカエサルは、腹心の部下であるブルータスの顔を認めると、「ブルータス、お前もか」と言って倒れたとされます。
この言葉は、信頼していた部下や友人などに裏切られたことを象徴する言葉として定着しました。
暦の名前の由来
数字 | 英語 | 由来 |
1月 | January | ローマ神話の門や入り口の神「ヤヌス」から |
2月 | February | ローマ神話の慰霊の神「フェブルウス」から |
3月 | March | ローマ神話の軍神「マルス」から |
4月 | April | ギリシャ神話の愛と春の神「アフロディーテ」から |
5月 | May | ローマ神話の豊穣神「マイア」から |
6月 | June | ローマ神話の女性の結婚の守護神「ジュノー(ユノ)」から |
7月 | July | 古代ローマの政治家「ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)」から |
8月 | August | 古代ローマの初代皇帝「アウグストゥス」から |
9月 | September | ラテン語で7を意味する「Sept」から |
10月 | October | ラテン語で8を意味する「Octo」から |
11月 | November | ラテン語で9を意味する「Novem」から |
12月 | December | ラテン語で10を意味する「Decem」から |
なんで9月〜12月が数字の7〜10になるの?2個ズレてない??
ロムルス歴が適用されていた時代、1月から10月までしかありませんでした。
当時、1年は今で言う3月からスタートしていました。
つまり、こうです(右:今の月➡︎左:ロムルス歴)
3月➡︎1月、4月➡︎2月、5月➡︎3月、6月➡︎4月、7月➡︎5月、8月➡︎6月、9月➡︎7月、10月➡︎8月、11月➡︎9月、12月➡︎10月
なるほど!2個ズレている理由はロムルス歴の名残と言う事ね!
カエサルがユリウス暦を導入する前の末期ローマ暦では、7月がラテン語の5を意味する「Quinque」から5の月、8月をラテン語の6を意味する「Sex」から6の月と名付けられていました。
紀元前45年、カエサルによってユリウス暦が制定され、カエサルの誕生月である7月(5の月)の月名を「Julius」と改めました。
その後の西暦8年にはカエサルの養子でもある初代ローマ皇帝アウグストゥスが、8月(6の月)を「Augusutus」と改めました。
アウグストゥス亡き後、多くのローマ皇帝が月に自分の名前を付けましたが、長続きせず、その皇帝の死後、程なく元に戻されてしまいました。
結局、人名が月の名となって残ったのは7月の「Julius」と8月の「Augusutus」だけになりました。
1月、2月、3月、4月、5月、6月:それぞれ神様にちなんだ名前
7月、8月:古代ローマの英雄の名前
9月、10月、11月、12月:そのまま数字の順
まとめ
以上、7月・Julyの由来になった、古代ローマの英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)についてと、暦の名前の由来についての紹介でした!
後世にまで名前を残したユリウス・カエサル。さすが古代ローマ最大の野心家ですね!以上、ソナがお届けしました。
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