こんにちは、ソナです。
2020年はベートーヴェン生誕250年のメモリアル・イヤーだとご存知ですか?
私にとってベートーヴェンは音楽室にある肖像画から気難しそうな人と言うイメージの作曲家です。
今回は、交響曲からピアノ曲まで数々の名曲を生み出した楽聖(がくせい)と称される、ベートーヴェンについて、どんな人物でどんな生涯だったのか?彼の代表作やエピソードについて紹介したいと思います。
モジャモジャヘアーで気難しそうに見えるベートーヴェン。いったいどんな人物なんでしょうか?
ベートーヴェンとはどんな人物?
ベートーヴェンはドイツの作曲家でピアニストでもあります。
音楽史上極めて重要な作曲家の一人で、その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされ、後世の音楽家たちに多大な影響を与えた人物です。
ベートーヴェンのプロフィール
- 名前:Ludwig van Beethoven(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
- 生年月日:1770年12月16日頃
- 出生地:神聖ローマ帝国(現在のドイツ)ボン
- 没年月日:1827年3月26日(56歳没)
- 死没地:オーストリア帝国(現在のオーストリア)ウィーン
- ジャンル:古典派音楽
- 活動期間:1792~1827年
56年と言う短い人生でしたが、彼の生涯はどのようなものだったのでしょうか?
ベートーヴェンの生涯
音楽史上極めて重要な作曲家の一人で楽聖と称えられるようになったベートーヴェン。
彼の生涯について生い立ちから紹介します!
ベートーヴェンの生い立ち
- ベートーヴェンはドイツ中部のボンで、宮廷テノール歌手の父ヨハンと母マリア・マグダレーナの間に誕生。
- 父ヨハンはモーツァルト親子を理想として、ベートーヴェンが3歳の頃から音楽教育に励みます。
- その甲斐あって、ベートーヴェンは7歳にして演奏会を開きます。
- さらに11歳で作品を初出版。
- 幼少から類稀な才能を発揮しました。
ベートーヴェンが父から受けたはスパルタ教育の数々
- 曲が弾けるようになるまで食事抜き
- 部屋に閉じ込められてピアノの練習
- 暴力を受ける事も
- スパルタ教育の父はアルコール依存症で失業してしまい、益々ベートーヴェンに辛く当たったそうです。
ベートーヴェンは失職した父の代わりに仕事を掛け持ちして家計を支えたそうです。波乱万丈な生い立ちだったんですね・・・
ベートーヴェン・青年期
- 16歳でウィーンに赴き、敬愛するモーツァルトの前で即興演奏。
- 20歳の時、ハイドンと出会い弟子入りする。
- その頃ウィーンに移住。
- ピアノの即興演奏の名手として有名になりました。
ベートーヴェン音楽家デビュー~傑作の森時期
- 1795年、最初のピアノ協奏曲を完成させ、自らの独奏で初演。
- 1800年、「交響曲第1番」を完成・初演
- 1804年、「交響曲第3番」を発表したのを皮切りにさまざまな曲を生み出す。
- ベートーヴェンにとっての“傑作の森”と呼ばれる時期を迎える
- ピアニスト兼作曲家から完全に作曲専業へと移りました。
“傑作の森”とはフランスの作家・ロマン・ロランによる表現です。1本の木が森になるように、たくさんの傑作が生まれた時期をこのように表現したのでしょう。
一方、音楽家として致命的な耳の不調
- ベートーヴェンの耳の不調は20代後半から始まりました。
- 様々な治療法を試しましたが大きな効果は得られませんでした。
- 30代を迎えた頃には、日常生活に支障をきたすほどになっていました。
- その後も聴覚の異常は進行していきます。
ベートーヴェンの晩年
- 40代半ばを迎えると、耳の病気は悪化し、ほぼ何も聞こえない状態に。
- さらに神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられました。
- 念願かなって甥のカールの後見人になるも、たびたび非行に走り自殺未遂などの問題を起こす彼に苦悩しました。
- 一時は作曲作業へも影響を及ぼすことに。
- そうした苦悩の中書き上げたのが、「交響曲第9番」
日本では年末の風物詩「喜びの歌」でお馴染みの「第九」です!
- 1862年以降、肺炎を患ったことをきっかけに闘病生活を余儀なくされました。
- 病床の中「交響曲第10番」に着手するも、未完成のまま肝硬変により息を引き取りました。
- 波乱に満ちた56年の生涯でした。
ベートーヴェンの葬儀には2万人もの人々が参列したそうです。シューベルトもその参列者の一人だったそうです。
ベートーヴェンの人物エピソード
- 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背。
- 筋肉質でがっしりとした体格。
- 生涯独身でしたが、女性にはモテたようです。
- 服装には無頓着。
- 弟子のツェルニーの初対面の感想は「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃ逆立っている」
- 作曲に夢中になり無帽で歩いていた為、浮浪者と間違われる
- 部屋の中は乱雑だが、入浴と洗濯好きの綺麗好き
- 潔癖症で手を執拗に洗う
- 性格は正反対な側面が(親切で無邪気な面と厳しく冷酷な面があったとか)
- 癇癪(かんしゃく)持ち
- 情熱的かつ短気でせっかちな性格
- 引越し魔(生涯で少なくとも60回以上)
- メトロノーム(テンポを合わせる為に使う音楽用具)を初めて活用した音楽家
- 父親に似て大の酒好き
- ビールを飲みながらタバコを吸うことが好き
- コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れていた
エピソードからも気難しさが伝わってくると思いませんか?数々の傑作を生み出せたのもこだわりが強い性格からなんでしょうね。
ベートーヴェンおすすめの代表作5選
- バガテル イ短調《エリーゼのために》(1810年)
誰もが一度は耳にしたことがあるであろう有名なピアノ曲ベートーヴェンが当時結婚を考えていた女性の為に書いたものと言う説が有力ですが、別の説もあり、真実は不明のままです。
- 交響曲第5番《運命》~第1楽章(1808年)
「ジャジャジャ・ジャーン」の出だしでお馴染みのクラシック音楽の代表的な1曲。タイトル《運命》の由来は、「『運命はこのようにして扉を叩く』とベートーヴェンが語った」という逸話からと言われていますが、定かではありません。
- ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》~第2楽章(1798年)
第2楽章の旋律がポピュラーソングにもなったメロディアスな名曲。彼のソナタの中でもとりわけ人気の高い曲の一つです。色々なタイプの《悲愴》を感じられるので第1楽章から第3楽章まで続けて聴くのもおすすめです!(悲愴とは、悲しく痛ましい気持ち。またそのさま。)
第1楽章は激しく怒りが満ちた悲愴、第2楽章は冷静で諦めに近い悲愴、第3楽章は気持ちを切りかえて悲愴を乗り越えよう、そんな風にソナは感じました。
- 交響曲第6番《田園》~第1楽章(1808年)
田園風景が思い浮かぶ、のどかで幸福感が漂う交響曲の名作。当時田舎だったウィーン郊外のハイリゲンシュタットで主に作曲されていて、その地の風景や生き物が反映しているとみられています。ロマン派に大きな影響を与えた交響曲でもあります。
- 交響曲第9番《合唱》~第4楽章(1824年)
声楽を導入した、当時の交響曲としては型破りの大作。日本では「歓喜の歌(喜びの歌)」が年末の風物詩となっています。ちなみに西欧では年末の風物詩ではありません。特別な機会に演奏される事が多いそうです。
「喜びの歌」が日本の年末の風物詩になったのは諸説ありますが、戦後で貧しいオーケストラが年末に臨時収入を得ようと「第九」を演奏したことに由来すると言われています。
ベートーヴェンのまとめ
今回は生誕250年のメモリアル・イヤーであるベートーヴェンについて紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?
波乱万丈な生涯の中、200年以上経っても色褪せない数々の名曲を生み出し、後世の音楽家にも多大な影響をもたらしたベートーヴェン。
そんな偉大な音楽家について「楽しく学べた!」と思って頂けたら幸いです。
メモリアル・イヤーのベートーヴェンへ思いを馳せながら、彼の名曲を聴いてみてはいかがでしょうか?以上ソナがお届けしました!
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